昨夜、「新選組!! 土方歳三最期の一日」が放送されました。2004年の大河ドラマではカットされた新選組副長・土方歳三の最期を描いた正月時代劇で、箱館戦争の終盤にスポットを当てた作品です。
ドラマで描かれていた通り、土方歳三は弁天台場に取り残された新選組隊士たちを救いに、五稜郭を飛び出しますが、道中で薩長軍と鉢合わせになり、銃弾に倒れました。ラストシーンでは、土方の命を受けて多摩へと走る市村鉄之助の姿が映されましたが、彼のその後は?無事に多摩にたどり着いたのか、それとも――。
土方の死から3ヵ月後、彼はついに多摩の日野宿本陣・佐藤彦五郎のもとへ到着します。
土方から預かった書状と写真を、彦五郎に渡し、蝦夷地での土方歳三や新選組の戦いぶりを伝えた鉄之助は、しばらくのあいだ日野宿本陣の一室でかくまわれていました。
最後まで薩長軍に抵抗し続けた榎本武揚率いる旧幕府軍が降伏したことで、名実ともに新政府が日本の統治権を握り、明治維新がなされますが、多摩の人々は「維新」とは呼ばずに、江戸幕府の「瓦解(がかい)」と悲しみました。古くより徳川家の天領として、将軍家への忠誠を貫いてきた多摩の人々にとっては、新しい世の中がやってきたというよりも、古き良き時代が崩れていっってしまったというふうに捉えられたのでしょう。
新選組は官軍にたてついた賊軍として考えられていたため、彼らの功績を讃えたくても、記念碑を建てることは許されませんでしたが、ようやく1888年に佐藤彦五郎や小島鹿之助の尽力によって高幡不動に「殉節両雄の碑」を建てることが許され、彼らの功績を今に伝えています。
さらに1995年には日野ロータリークラブにより土方歳三立像が建てられました。
多摩・武蔵野の情報誌サイト「タチカワオンライン」掲載中の歴史コラム「新選組と行く!」もどうぞ!
多摩・武蔵野の情報誌サイト「タチカワオンライン」に、昨年連載して頂いていた「新選組と行く!」の特別編「多摩の誇り」が、掲載されました。
「新選組!! 土方歳三最期の一日」が、NHKで2006年1月3日に放送されるのに合わせて、なんとか年内に掲載して頂いたスペシャル企画です。
今回は、会津に旅行した際に回った新選組史跡や、改修工事のため連載中には取材できなかった土方歳三生家(土方歳三資料館)などの情報を中心に書いています。ぜひ、ご覧下さい!なお、土方最期の戦いとなった「箱館戦争」の模様も、過去に掲載して頂いていますので、こちらもあわせてどうぞ!
ちなみに写真は土方歳三生家のそばを流れる用水路。この辺りは「日野用水」に代表されるような、多摩川や浅川の流れを利用した農業用水路が張り巡らされています。若き日の土方歳三も遊びまわったという用水路のチョロチョロ流れる水の音を聞いていると、幕末の多摩に思いを馳せたくなってきますよ。
これから、何度かブログに書いてきた母親の実家「土方」家で、ばーちゃんを囲んでのクリスマスパーティー。
攘夷のために戦った新選組や土方歳三にとったら、現代のクリスマス文化はどう映るのかな。
日本人はどうしても宗教や思想と切り離して考えてしまいがちだけど、パーティーやプレゼント交換なんかは、悪くはないよ、歳さん。
ちなみに写真は中央線の日野駅。木造の駅舎が特徴。亡くなった大叔父が絵描きさんで、この駅舎を描いた作品が我が家にありました。
今日はここから八王子駅行きのバスに乗ります。
日野市にある土方歳三資料館を見学してきました。こちらは土方家のご子孫が運営している施設で、歳三の生家を改築して、その一部で、愛刀「和泉守兼定」をはじめ、歳三や新選組に関する資料を一般に開放しているんです。
館内では、歴史研究をしているご子孫の土方愛(めぐみ)さんが資料について解説をしてくれます。そこで、予てよりの疑問をぶつけてみました。こぐまの母方の実家(八王子市)は「土方」姓なのですが、「土」の右上に点が付くんです。歳三生家周辺には点が付く土方も、付かない土方も混在しているのですが、両者にはどんな関係があるの?っていうもの。
愛さんの見解はというと… 同じような質問は、他の方からも受けたことがありますが、詳しいことはわからないとのこと。もともとこの辺りは 土方一族が軒を列ねて住んでいた地域で、そのうちの一部の世帯が「つち」と誤読されないように、点を付け足すようになったのかもしれませんね。
多摩の英雄、新選組副長・土方歳三の育った家で、彼の足跡を辿る。新選組ファンの方はもちろんですが、そうでなくとも地元の方には、ぜひ一度足を運んでもらいたい場所です。
こぐまの新選組コラム「新選組と行く!2004」はコチラ
※会津の話題も含め、年内にも特別編をアップして頂ける予定です。